昭和30年代・40年代中頃までは、大山名人の天下でした。その大山名人を相手に、
”打倒大山!””打倒振り飛車!”を声高に叫び、文字通り”命を賭けて”大山名人に立ち向かって
いった情熱の男−それが山田道美です。
しかし大山の壁は厚く、昭和40年名人戦・41年王将戦とことごとく挑戦をはね返されてきました。
特に惜しかったのは王将戦での対決。
このとき山田は第4局までに3−1と大山をリード。”新王将誕生”・”宿願の打倒大山達成”と
誰もが思ったでしょうが、巨人・大山は残りの3番を立て続けに連破。
4−3で山田の悲願を打ち砕きました。
この頃には二人の関係は悪化。俗に言う”水と油”という奴で、大山としてもあまりにも山田が
”打倒大山!”を叫ぶので内心不愉快だったのでしょう。
熟考する山田が盤上に乗り出してくると、”暗くしなさんな!”と一喝したそうです。
しかし昭和42年の棋聖戦では、3−1で見事大山からタイトル奪取!宿願を果たしました。
彼が残した対振り飛車”山田定跡”は、今日青野九段に引き継がれ、”鷺宮定跡”として現代に
生き続けています。
また彼は”研究とは一人でするもの”という定説を覆し当時の有望な若手たちを自分のアパートに
招いて共同研究を行いました。
そのなかには、のちのビッグネーム中原永世十段や米長永世棋聖の名もあります。
YAMADA
図は記念すべき打倒大山の一戦。
上図からの手順
△37歩▲同玉△25桂▲48玉△69角▲58銀△37桂成▲同玉△58角成▲34銀打ち
△25桂まで山田勝ち
ついに宿願の打倒大山成る!
▲44歩がくる前の△37歩が絶妙手!放置すれば△39角。▲44歩では△38金▲18玉
△73飛▲43銀△21玉で後手勝ち。
大山をタイトル戦で1度倒したとは言っても、まだまだその志は道半ばであったことでしょう。
しかし昭和45年、血液中の白血球が減少する奇病に冒され、現役中に帰らぬ人となりました。
まだ36歳の若さでした。
葬儀のとき、彼の幼いご子息が”僕は医者になってお父さんのような病気の人を治してあげたい。”
と泣きながら話していたのが、参列者の涙を誘ったといいます。
もし彼がもっと長生きをしていたら、対振り飛車戦の戦術やその後の将棋界の勢力地図が、かなり
変わっていたことでしょう。
かくいう私も、山田先生の対局は棋譜の上でしか見たことがありません。
残念です。