1983年わずか21才で名人位に就く。(史上最年少名人の新記録)だが、むし
ろ彼の苦悩はここから始まったとさえ言ってもいいだろう。
先輩たちは一向に衰える気配がなかった。棋聖戦という他のタイトルに挑戦したが
当時全盛の米長にストレート負けを喫する。
彼をライバル視する田中寅彦からは”あの程度で名人になる奴もいる”と言われる。
2年後には実力bP中原誠に名人位を奪われ、史上最年少の”前名人”。
谷川が真の実力を発揮するのは、それから数年を要する。20代後半になってから
は常にタイトルを手にし、30少し前だったろうか、史上4人目の四冠王となる。
しかし・・・14年前(だったかな?)、驚異の新人がデビューした。その男は、
高校を卒業するや怪物ぶりを発揮。NHK杯では、現役名人・歴代名人(谷川も含め
!)をすべて破って優勝。
19歳の秋、将棋界最高の地位”竜王位”をデビューわずか5年で獲得した。
その男の名は羽生善治。
快進撃を続ける羽生の強烈なパンチを浴び続けたのは、谷川だった。初のタイトル
戦での対決こそ制するものの、その後は7度の対決すべてに敗れ、残るは”王将位”
一つのみ。
そして六冠をひっさげた羽生が、夢の七冠を目指し谷川の持つ最後の砦”王将位”
に挑んできたのは1995年1月のことだった。
マスコミが平等なんてウソだ。この時の報道は、羽生の七冠を期待(”希望”と言
っていいと思う。)するものばかりだった。
すべてが谷川の敵にまわっている。そして、第一局終了後、第二局までのあいだに
おきた阪神大震災。
神戸在住の谷川は、実家は全壊、自身もポートアイランドから懸命の脱出を果たす。
実際のところ、将棋どころではなかったかも知れない。
しかし死闘の末4−3、谷川は羽生の七冠を阻止した。