昨年8月(1998年)、村山聖八段(追贈九段)が、入院先の広島市内の病院で
ガンのため死去した。29才だった。
5歳の頃、ネブローゼという腎臓の病気が発現。幼いその目は、病院の中で数多くの
死を見つめてきたそうだ。
しかしまだ5歳。彼は幼いがゆえに、その事実を、その重荷を素直に受け入れることは
できなかった。
母親の寝物語に涙を流した心やさしい少年は、いつしか家族に当たり、家具を破壊し、ついには
家までも破壊しようとした心の荒んだ少年になってしまった。
盤上盤外の村山の壮絶な戦いは、実は村山家の戦いでもあったのだ!
一昨年、ガンの手術をしている。医師からは休場をすすめられたが、振り切って出場。
薬の使用も拒否。(頭がボーとするから。)
棋士の対局は、朝10:00から始まり、熱戦になれば深夜にも及ぶ。(日付が変わ
る戦いも少なくない。)休場あけの村山にとって、まさに”命懸け”の戦いだった。
そのかいあって、彼はA級にカムバックする。
羽生と同期の彼は、対羽生戦には闘志を燃やして立ち向かった。13回戦い、6勝7敗
の星を残していた。(羽生に対して対戦成績が、これほど拮抗しているものはいない。)
まだ羽生が七冠をとる前、羽生が出版した本の通りの局面に誘導。羽生が”不利”
と断じた側を持ち、見事”羽生の頭脳”を破ってみせた。
近い将来必ず実現するはずだった羽生VS村山のタイトル戦。それは”夢”のまま
終わってしまった・・・
”将棋年鑑”という本が年に1回出版される。各棋士にアンケートが出され、”今
年の目標”という欄がある。それに対する村山の回答は”生きる”だった・・・
この言葉の意味を知るとき、胸が熱くなるのは私だけだろうか・・・