将棋の館−盤上のドラマ−/盤上シアター81/史上最強の挑戦者−中原VS加藤

史上最強の挑戦者−中原VS加藤


  1982年、中原VS加藤の名人戦は歴史に残る死闘だった。
  V10を目指す中原の前に立ちはだかったのは、”神武以来の天才”加藤一二三。

  当初、中原を大の苦手にしていた加藤だが、(21戦時点での対戦成績は中原20
勝、加藤1勝。見るも無残、語るも涙の対戦成績だった。)その後は十段戦(現在の
竜王戦の前身)・王将戦で中原からタイトルを奪取。苦手意識を完全に払拭し、当時
不調の中原にとって”史上最強の挑戦者”と言われた。
 
  加藤は中学生で四段。毎年昇級を重ね、18才でA級入り。空前絶後の記録に”神
武以来の天才”と騒がれた。
  初めて名人戦に登場したのはそれから2年後。20才の挑戦者。相手は不世出の大
名人大山康晴。早稲田大学在学中の加藤は、学生服で名人戦にのぞんだとか・・・
  しかし、巨人・大山の壁は厚く、4−1で敗退。以後、低迷の時代が続く。
  (74年にも中原に挑戦するが、4−0のストレート負けを喫する。)

  しかし昭和50年以降、加藤は復活し、中原・米長とともに”3強”と呼ばれる。
  ”3度目の正直”と”V10”を賭けたシリーズは、何と開始早々の第1局から持
将棋(引分け)。
  波乱を感じさせる、その通りの展開になり2度の”千日手”を含み、3勝3敗1持
将棋2千日手。7番勝負が7番で終わらない。
  
  実質の”10番勝負”となった最終局、追い込まれた中原は積極策。(中原を始め
歴代の強者は、苦境に立てば立つほど、積極的に撃ってでる。)
  敗れれば、第一人者の座を追われるという大一番に、”フルエル”様子は微塵もな
い。
    ”中原V10か”−誰もが中原の優勢を信じていた。しかしその頃、盤上では異
変が起きはじめていた。

  積極策が裏目に出始める。もはや”安全勝ち”を目指して十分。だが、中原は加藤
の勝負手を強気に受けとめる。
 それでもまだ、微かに残っていたが、まるで魅入られたかのような金引き・・・
  加藤、残り時間を全てつぎ込み、中原を即詰みに討ち取った。

 最後の20数手は、まるで人間の意思以外のものが働いたかのような結末だった・・・
 中原はまだ1時間以上も持ち時間を残していたのだ。どこかで腰を落としていれば、
勝ち筋の発見は容易だっただろうに・・・

  初挑戦から苦節22年。史上最年長名人(のち米長邦雄が記録を更新)が誕生した。
  しかし、この死闘で燃え尽きたか、もはや加藤に名人防衛の力は残っていなかった。
  翌年21才の谷川浩司が名人を奪取。史上最年少記録を達成。
  将棋界新時代の幕開けとなる。





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