将棋の館−盤上のドラマ−栄冠は光の彼方に!−燃えろ谷川!−/田中寅彦との対決!

田中寅彦との対決!


    谷川が若い頃は、田中寅彦がライバル視された。
    
    谷川が六段になった頃、”ライバルは誰ですか?”と質問を受けた。
    それに対し、”田中さんです。”と谷川。
    彼もそこでやめておけばよかったのだろうが、続いて、
    ”あの人がなぜ、C2にいるのか不思議です。”と。

    これを聞いて田中がカチンときたようだ。
    ”ありがたいことに、彼は私に同情までしてくれた。”と雑誌で発言。
    これ以降、この二人は火花を散らして対決することとなる。
    
    デビュー当初は振り飛車党の谷川だったが、その後居飛車党に転向。しかし、田中との対戦になると意地を張るか
  のように飛車を振り、これを田中がイビアナで叩きのめす−二人の対戦は殆どがこのパターンだった。
  
    谷川が八段に昇段した時、将棋雑誌の企画で田中との三番勝負が実現した。当時田中は六段だったと思う。
  (田中も谷川を懸命に追いかけ、例の発言の後は毎年昇段を続け、A級入りを果たす。)
  
    第1局。
    どうしても田中のイビアナを倒したい谷川は、またも振り飛車。しかし田中のイビアナの前に敗れ去る。
  ”何て弱い八段や!”
    局後、仲間内で飲みに行ったさい、谷川が言ったそうだ。

    そして第2局。
    戦型を見た誰もが、うなったろう。−矢倉だった。
    谷川は意地を捨てた!いや、そうではない、”新八段は甘えを捨てたのだ。”−これが第2局の観戦記者東公平氏が、
  観戦記中に書いた言葉だ。
    胸を打つ言葉で、今も鮮明に覚えている。
    
    第2・3局、谷川、矢倉で連勝!
    注目の第1ラウンドは、辛うじて谷川が面目を保った。
    
    意地を、いや、”甘えを”捨てた谷川は、その後田中との一戦には殆ど矢倉を採用するようになる。
    昭和58年、この二人は全日本プロトーナメントの決勝3番勝負で顔を会わせる。
    若い二人は、闘志を燃やしてぶつかりあい、そして結果は谷川が2−1で初優勝を飾った。
    
    しかし残念なことに、これ以降この二人の番勝負は実現していない。
    ”T・T対決”はいつのまにか”谷川vs高橋”となり、また”谷川のライバル”は”羽生”になった。

    田中さんは40歳を過ぎ、谷川さんもあと数年で40代になる。かつてのギラギラした感情同士のぶつかり合い
  ではなく、大人になった二人の盤上の技術の交差を見てみたい。
    それも大きな舞台で!