将棋の館−盤上のドラマ−/想いをはせて・・・/気高き米長理論

気高き米長理論


  皆さんが勝負師だとしたら、皆さんにとっての”重要な一番”というのは何だろう?
 優勝決定の一番?あるいはリーグ残留の一番?
 いや、違う。本当に重要な一番と言うのは、実は”自分にとっては何の関係もないが、
対戦相手にとって、重要な意味を持つ一戦”なのだ。−こういう持論を持つのは米長永世棋聖。

 この”米長理論”発表後、プロ棋士達はこの考えを支持しているようだ。
 4,5年前のA級順位戦7回戦、挑戦権争いの谷川の前に立ちはだかったのは、ここまで
6戦全敗の有吉。残念ながらすでにA級からの陥落が決定しており、対谷川戦は彼にとって勝とうが負け
ようが関係のない一番−いわゆる消化試合だった。
 しかし全身全霊をこめて戦い、ついにその年のA級初勝利!谷川の野望を打ち砕いた。

 昭和45年のB級順位戦は内藤国雄が、最終局を待たずしてA級入りを決めた。残る一つの昇級
枠は大野源一八段(当時)が星一つリードし、最終局の対米長戦に勝てばA級カムバック。何と齢
60を超えてのA級復帰になるそうで、当時大いに話題になったとか。(ちなみに大野先生は木見門下
の”長兄”。升田・大山両先生の兄弟子にあたり、棋界のトップスターの両先生のことを”おい、升田”
”おい、大山”と呼び捨てにできる唯一の人物であった。)
 しかしながらもし大野が米長に敗れると、順位の関係で東京で行われる芹沢−中原戦の勝者がA級
入りとなる。(ちなみにこの二人は高柳門下の兄弟弟子。新進気鋭の芹沢は、中原少年を大いにシゴイた
そうだ。”そんな手は将棋にない手だ。今度そんな手を指したらとっとと田舎に帰れ!”兄弟子の厳しい
叱責がたびたび飛んだようである。)

 運命の一戦は東京・大阪、場所をわけて行われた。
”米長はものにこだわらないから、アッサリと負けて、大野先生のカムバックが決まるだろう。”
 大方の仲間がそうウワサする中、米長は己の信条に従い懸命に戦った。そして相当に悪い将棋を
ついに逆転。大野の夢を断った。
 米長は大先輩の心情を思いやり、明け方まで大野につきあったとか・・・

 一方、東京では−
 芹沢は主催紙の記者が、盤側に陣取るのに気づいたという。
 ”大阪は米長の勝ちだ!”
 何故ならもし、大阪で大野が勝っていれば昇級者は決定し、芹沢−中原戦は単なる消化試合。主催紙
の記者が取材する価値はない。盤側に記者が来たのは、この一戦が昇級決定戦になったからだ!
 
 注!
 私は思うのですが、”盤側に記者が来た。”というのは芹沢先生の勘違いだと思う。対局が終わるまで
他の棋士の勝敗は全て教えないことになっている(当然ですね!)わけだから、主催紙側がそんなデリカシー
のないマネをするとは思えない。だって、口に出さなくても結果を教えているのと同じことですよね。
 とはいえ、ひとつのエピソードとして、お伝えしておきます。

 盤上は芹沢優勢のまま、中盤から終盤へとさしかかった。優勢を意識し、そして”昇級”を意識し”兄”
の心はわずかにふるえていたか・・・
 一方”弟”は非勢の故か、盤上一筋に没我していた。この意識の差が、最後の最後に運命を分けたか・・・
 結果として終局5分前に形勢は逆転!勝った中原はデビュー以来ノンストップでA級へ!一方、芹沢には
この後、A級復帰のチャンスは4年の歳月を待たねばならなかった。

 対局が終わり、目の前の、自分の夢を打ち砕いた男に、芹沢は言った。
 ”おめでとう。”
 中原は無言で頭を下げ、礼を返した。
 



 
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