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これが名人位の重さか!大内、痛恨の一手!

第34期名人戦七番勝負第七局 中原VS大内

▲46歩の局面

▲大内VS△中原

 全ての棋士の憧憬の的である”名人位”。昭和17年に実力名人制が発足して以来、幾多の死闘が演じられてきた
名人戦。
  その桧舞台に登場したもの27人、一度でも頂点を極めたものわずか10人。(1999年現在)
  残る17人は、栄光のスポットライトに照らされることなく、ある者はこの世を去り、ある者は現役を退き、また
ある者は,いまだ名人位への熱き想いを抱きながら、じっと次のチャンスをうかがって
いる。
 昭和50年(1975年)、怒涛の勢いで順位戦を勝ち抜いたのは大内延介だった。
  当時まだ”戦法”としては認知されていなかった”穴熊”を駆使し、4連覇を目指す中原と桧舞台で相まみえた。

  シリーズに入っても大内は大健闘。第5局でついに中原をカド番に追い込んだ。
  しかし中原も剣が峰をこらえて、ついに決着は最終局へ。

  中原vs大内第1図より

 △86歩▲同歩△同飛▲75歩△84飛▲95角△81飛▲74歩△65桂

  名人位の行方を決める大一番に何たること、中原の飛車先交換が大悪手!すかさず大内に▲75歩と乗じられ、
△65桂と桂をタダ捨てしなければならぬようでは、すでに1日目にして形勢は大差となった。

  △65桂に対する大内の次の一手が封じ手となった。
”勝った!ついにオレは名人位をこの手にした!”
  この夜の興奮は大内を眠らせなかった。
  寝るのをあきらめた大内が、窓の外を見る。
  中庭を挟んだ向かい側の部屋で、ただ一つ明かりの消えていない部屋があった。
  そう、その部屋が中原の部屋であった。そこにはあまりの形勢の不利に苦悩する中原の姿があった。
”明日は3年間君臨した名人位を明け渡さねばならぬのか・・・”
  中原もまた、眠れぬ夜を過ごしていた・・・

  翌日・・・大内の封じ手は当然の如く▲65同桂。
  しかしプレッシャーからか、大内の手が伸びない。慎重に慎重に・・・掌中の珠を大事にするあまり
踏み込みが鈍る。
  その間、中原はジリジリと差を詰めてくる。

  そして迎えた中原vs大内第2図。次の一手は、恐らく大内にとって生涯忘れられない一手であろう。

△82同飛の局面
▲大内VS△中原
 ▲71角△24銀▲82角成△65歩▲同銀△37歩成▲66玉△34玉、以下持将棋  ▲71角が痛恨の一手。この一手で名人位は大内の掌中からこぼれ落ちた・・・ ここは▲45歩と突き、 @△同銀▲44歩△同銀▲71角△72飛▲44角成△同玉▲53銀△43玉▲73歩△82飛▲83歩 △92飛▲44歩△32玉▲23金打△41玉▲43歩成 A△24銀▲44歩△34玉▲43角△35玉▲36金 いずれの変化も”大内新名人”誕生の確率はかなり高かった。 中原が席を立ったあと、大内は立会いの塚田九段(故人)にむかって、 ”しまった、先に▲45歩と突くんだった。それで決まっていたでしょう?”と問いかけたとか。 まさか立会人が対局中に”はい、そうですね。”と言えるはずもないが・・・ 持将棋を提案する中原に、大内は”もう少しやらせてくれ”と言ったとか。この言葉に 大内の無念の想いが、 にじみ出ているようだ。 後日行われた”第八局”、立ち直った中原は大内に快勝。4期連続の名人位を防衛した。 それにしても、このシリーズで”勝者”と”敗者”をわけたものは一体何だったのだろう・・・ 勝った中原は名人位通算15期を勉め、しかし敗れた大内に”2度目のチャンス”は訪れていない。 激闘を続ける今期名人戦(2000年度)の佐藤VS丸山。若い二人はこの大舞台にどんな歴史を刻んでくれるの だろうか・・・
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